【当時の年齢】渋沢栄一の生涯
2024年10月27日
1840年3月16日
生誕
18年
1858年
結婚
18歳
5年
1863年
京都で一橋慶喜に仕える
23歳
1866年12月に慶喜が将軍になったため幕臣に。
4年
1867年
パリ万博の使節団としてフランスへ
27歳
2年
1869年1月16日
静岡で株式会社制度を取り入れ「商法会所」設立
28歳
フランスで見聞した株式会社や銀行の仕組みを初めて模倣した企業組織。
2年6ヶ月11日
1871年7月27日
大蔵省に出仕
31歳
1年3ヶ月8日
1872年11月4日
富岡製糸場が操業開始:設置に参画
32歳
6ヶ月10日
1873年5月14日
退官・実業家に転身
33歳
井上馨と共に退官。
2ヶ月6日
1873年7月20日
第一国立銀行(後の第一銀行、第一勧業銀行、みずほ銀行)を開業:総監役に就任
33歳
1年
1874年
生活困窮者救済事業である養育院(後の東京都健康長寿医療センター)の運営に参画
33-34歳
4年
1878年3月12日
東京商法会議所(後に東京商工会議所、日本商工会議所に発展)設立
37歳
2ヶ月10日
1878年5月22日
東京株式取引所を設立
38歳
第一国立銀行の株式を率先して上場。
1年2ヶ月10日
1879年8月1日
東京海上保険会社(後の東京海上日動火災保険)設立:創立発起人、相談役
39歳
2年3ヶ月4日
1881年11月5日
日本鉄道会社(後の東日本旅客鉄道)設立:理事委員として設立に参画
41歳
5ヶ月28日
1882年5月3日
大阪紡績会社(後の東洋紡)設立:発起人、相談役に就任
42歳
日本初の本格的な紡績会社。
2ヶ月11日
1882年7月14日
共同運輸会社(後の日本郵船)設立:創立発起人
42歳
7ヶ月1日
1883年2月15日
東京電灯会社(後の東京電力ホールディングス)設立:創立発起人
42歳
日本初の電力会社。1882年3月18日に渋沢栄一・大倉喜八郎らが出願。
2ヶ月1日
1883年4月16日
浅野セメント工場(後の太平洋セメント)設立:創業を支援
43歳
4年
1887年4月
清水組(後の清水建設)の相談役に就き経営指導
三代目満之助が死去したため、遺言により相談役に就任。1916年まで。
47歳8ヶ月
1887年12月14日
帝国ホテルを開業するための有限責任東京ホテル設立:発起人総代、理事長に就任
47歳
帝国ホテル開業は1890年11月3日。
14日
1887年12月28日
札幌麦酒会社設立(後のサッポロホールディングス、アサヒグループホールディングス):創立発起人総代
47歳
8年18日
1896年1月15日
日本精糖(後の大日本明治製糖、DM三井製糖ホールディングス)設立:発起人、取締役に就任
55歳
渋沢栄一伝記資料「尋イデ是月二十六日設立免許申請書ヲ提出シ、翌二十九年一月十五日免許セラル。栄一取締役タリ。」
7ヶ月23日
1896年9月7日
汽車製造(後の川崎重工業)設立:創立委員、監査役に就任
56歳
日本初の民間機関車メーカー。
4年7ヶ月13日
1901年4月20日
日本女子大学が開学:創設者の成瀬仁蔵を支援
61歳
日本における女子高等教育の先がけ。第三代校長にも就任。
5年6ヶ月30日
1906年11月19日
京阪電気鉄道(後の京阪ホールディングス)設立:創立委員長、相談役に就任
66歳
3ヶ月18日
1907年3月9日
帝国劇場会社(後の東宝、東京会館)設立:創立委員長
66歳
2年2ヶ月28日
1909年6月6日
実業家からの引退を発表
69歳
第一銀行と東京貯蓄銀行を除く61の会社役員を辞任。
2ヶ月13日
1909年8月19日
渡米実業団を率いてミネソタ号で東京を出発:民間外交
69歳
1909年9月1日にシアトルに上陸。ウィリアム・タフト大統領と会見大統領と会見。3カ月にわたって60近い都市を回り、貿易摩擦の解消、相互理解に努めた。
14年21日
1923年9月9日
大震災善後会設立:副会長に就任
83歳
1923年9月1日に発生した関東大震災の8日後に設立。大震災善後会は現在の価値にして約2,100億円規模の義援金を集めた。
その他、自費で被災者に供給するための食糧を近県から取り寄せた。
8年2ヶ月2日
1931年11月11日
死去
91歳